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首里城から東方三個(赤田町、崎山町、鳥堀町)を眺めると、北東弁之嶽から北西虎頭山の線と西方首里城の線、南東御茶屋御殿から雨乞台地を経て崎山御嶽の線の北、西、南の三方が完全に凹字形をなし、平地を囲んで三個盆地を形成している。

古老の伝承によれば、崎山(さきやま)は田圃の南側の崎に雨乞、崎山御嶽などの山があるためにそう呼ばれたといわれている。

後世になって三個に人が集まりすぎ、稲田を狭め首都の穀倉を壊したために農業形態が崩れた。不屈な三個の民が、米を材料にした泡盛の製法をタイ国産ラオロンに習い、生計の道をたてるべく活路を見いだしたのはその頃からであった。

※三個は「サンカ」とよむ

首里全体再起山町位置
崎山町