かつて石嶺町(いしみねちょう)は、高台だが平坦で水利が良く、一面田んぼで、首里編入後はサトウキビや野菜作りが盛んで、篤農家が多かった。純朴な気風の農村で、祝女殿内(ヌンドゥンチ)はなく、祭りは末吉祝女(シーシヌール)が行ったという。
丘が点在し名家の墓が作られている。特に摂政の豊見城御殿(トミグスクウドゥン)や伊江御殿(イエウドゥン)、三司官の浦添殿内(ウラソエトゥンチ)、組踊りを作った玉城朝薫(タマグスクチョウクン)の墓などがあった。
戦後もっとも変化したところで、昔の畑には団地が建ち並び、商店街があって現在首里で最も人口の多い町である。

 

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