砲撃

沖縄戦は、第二次世界大戦末期に南西諸島、特に沖縄本島周辺の島々で展開された日米最後の戦闘で、日本国土内で闘われた唯一の地上戦である。


1944年6月、守備軍将兵を載せて鹿児島から沖縄に向かった富山丸が米潜水艦の攻撃を受けて沈没、約4600人の乗員中約3700人が海没させられ、同年8月、学童疎開船対馬丸が疎開中に同じく米潜水艦に沈没、約766人の児童が犠牲になった。さらに同年10月10日には、沖縄最大の都市那覇市が米軍の大空襲(10・10空襲)によって、市街の90%以上が壊滅させられる大損害を受ける。

米軍は、1945年3月23日から南西諸島に猛烈な爆撃を加えた上で3月26日に慶良間諸島に上陸し、同月末までに同諸島を制圧する。そのわずか数日間の間に、日本守備軍の直接・間接の命令によって住民約700人余りが集団自決を余儀なくされた。

同年4月1日、沖縄本島中部西海岸・北谷町・嘉手納町・読谷村から上陸。日本国守備軍は水際作戦を放棄したため、事実上の無血上陸にも等しかった。米上陸部隊は、その日の午前中に北(読谷)飛行場・中(嘉手納)飛行場を占拠し、2日目には狭小部分の石川の線で、沖縄本島を南北に分断することに成功する。

 

4月7日、日本軍は首里の防衛陣地を死守すべく反撃に転じ、嘉数高地(宜野湾市)や前田(浦添市)辺りの戦闘では、敵・味方入り乱れての激しい戦闘を繰り広げた結果、日本守備軍はその主戦力の85%を失い、米軍も多数の死傷者を出すなど日米双方に膨大な数の死傷者を出した。当時の模様を山川泰邦氏はその戦記の中で「もはや日本軍はこれと真っ向から取り組む力もなく、悲壮な肉薄攻撃を繰り返し、いたずらに米軍放火に身をさらし、野に屍の山を築いていくだけであった。」と述べている。

こうして、守備軍は5月22日に首里を放棄し、沖縄本島南部の摩文仁付近に撤退(首里撤退)する事を決め、5月27日から撤退作戦を実施した。この間、非戦闘員である地元住民に対する配慮の欠如から、約10万人以上の住民が首里と南部戦線の間を彷徨し、多数の住民が砲弾の前にその命を散らしていった。

摩文仁一帯へ撤退してからというもの、守備軍はほとんど為すすべもなく、牛島中将は6月18日参謀次長と第10方面軍あてに決別電報を送るに至った。そして、部下将兵に対し、<最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし>と命じはしたものの、もはや組織的抵抗は望みようもなく、6月23日未明、牛島軍司令官と長参謀長は摩文仁岳の中腹の司令部壕内で自決を遂げた。

米軍

沖縄戦の時期

一般に沖縄戦は、1945年(昭和20)4月1日に始まり、同年6月23日に終わったことになっている。日本の教科書にもほとんどそう書かれている。しかし、4月1日は、米軍が沖縄本島に上陸した日であって、実際にはそれより先、3月26日に慶良間諸島に上陸している。この慶良間諸島上陸を除外したり軽視したり出来ないのは、そこで700人余りの住民が集団自決を余儀なくされ、日本で初めての国土戦の実相がいかなるものであったかを象徴的に示しているだけではなく、沖縄戦の前哨戦として、後に続く沖縄本格戦争の悲劇を予兆しているからである。加えて米占領軍が南西諸島における日本のすべての行政権および司法権を停止し、「米国海軍軍政府布告第一号」を公布し、最初に占領行政をしいたのも慶良間諸島においてだったからである。

 

一方、6月23日が沖縄戦集結の日とするのが適当でないと思われる理由として、その日は沖縄守備軍司令官の牛島満中将と、長勇参謀長が自決した日ではあっても、実際にはその後も沖縄本島南部の国吉地区の洞窟陣地では、北郷格朗大佐が率いる第24師団第32連隊が健在で、雨宮巽師団長と木谷美雄参謀長が自決したのが6月30日であり、その配下の第32連隊の将校55人と342人の兵卒が105人の住民を伴い集団で投降したのは8月27日になってからである。

また、米陸軍のスティルウィル司令官が、マッカーサー元帥から南西諸島の日本軍の降伏を受け入れるように指示され、それに伴い宮古島から第28師団の納見敏郎師団長、奄美大島から加藤唯男海軍少将と高田利貞中将らが、嘉手納の米第10軍司令部で6通の文書に署名して、無条件降伏を申し入れ正式に降伏したのは9月7日である。
したがって、沖縄戦の集結日は9月7日とするのが合理的であり現にアメリカの文書にもそう書かれあるものもある。

それとは別に、6月23日が戦争終結とするのが不合理なのは、米軍が久米島に上陸したのが6月26日なのである。久米島での戦闘では、同島を守備する「友軍」によって20人の地元住民がスパイ容疑で虐殺されるという、沖縄戦の一特色をなす陰惨な事件が起こっている。したがって、6月23日が戦争終結だとすれば、この沖縄戦の重要な側面が歴史から丸ごと消えてしまうことになるのである。

(参考:沖縄タイムス社・沖縄大辞典)

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